いつも聞かれる質問にお答えします。
僕の場合、よく聞く聴覚と視覚ではなく、聴覚と触覚の共感覚です。 この音ザラザラだなとかツルツルだなとか。 この音鋭いなとか柔らかいなとか。 この音熱いなとか液体だなとか。 そういう感じです。逆方向もあります。 このサラサラ感はこんな音だなとか。 このネッチョリ感はこんな音だなととか。 このずっしり感はこんな音だなとか。 割となんでもありです。材質・重量・硬度・粘度・温度などなど。 パーカッショニストとして生きてきたからか、音階は全然浮かびません。 音の高低は触覚と対応しているのですがドレミは全然なんのこっちゃです。 自分は日米ともにパーカッショニストに囲まれて生きてきたのでこれが普通だと思っていたのですが、一般には普通でないみたいです。音を形容するとき触覚関連のオノマトペを使う文化があるので、言葉経由で身についた共感覚なのだと思います。 待て宮﨑。触覚に時間経過の概念あんのか?と突っ込まれることもあります。まあ、あります。単純に触っているかいないかのデジタルな変化と、ザラザラがだんだん磨かれてツルツルになっていくといった変化とがあります。あるいはもっと短い時間の感覚、例えばネッチョリが手からこぼれ落ちる感覚などもあります。 近現代においては、共感覚を含めた色々なアプローチで音楽を”翻訳”する試みがなされています。色々な作品があって面白いです。音楽も視覚芸術も、音自体ではない”なにか”を伝達する行為です。ある音楽と同じく”なにか”を視覚芸術で表現できるアルゴリズムが開発したい。そういう気持ちでみんなやってるんだと思います。 僕個人今は、音楽も視覚芸術もそれぞれ得手不得手があるからまあどっちも効果的に使えれば良いなあくらいのスタンスです。お金持ちになったらそういう”翻訳”の研究もしたいです。
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多くの友人から「なんだかよくわからん。みんなの聴きなれた曲でもっとわかりやすい解説をしなさい。」とご指摘を頂きました。今回易しめの記事を書いたつもりです。またご感想・ご意見よろしくお願いします。
まず最初はTubular Bellとホルンで幕を開けます。ここでのポイントは、それぞれのテンポが同期していないということです。日常生活で聞こえてくる大半の音は“設計されていな音”であり、結果としてそれぞれが同期されていません、このパートは、それを再現することで”予想していた音楽”とは違う異質なものとなり目立ちます。素晴らしい設計ですね。 この技法はどのジャンルでもよく見られますが、クラシックの世界では今回のようにTubular Bellを使うケースが鉄板です。教会の鐘々が街に響く様子が想像されますね。 ”音楽として聴くことに慣れた音”がここで意表を突いて入ってきます。ゆっくりのびのびと演奏されたホルン。この最後の部分が打ち切られるようなタイミングです。この“驚き”がAEDあるいは車のジャンプスタートのように働きます。元気の良い曲を急に始めるためのエネルギーを与えます。これがホルンの間をしっかり取ったタイミングで始まった場合を想像をすると、エネルギーの流れが不自然になりますね。 これが意外なタイミングとして演出されていることは、イントロのティンパニをよく聞くことでもわかります。このクレッシェンドが音量を上げきったならば、溜まったエネルギーを解放する音を次の一拍目に打ち鳴らすはずです。これがないということは、一拍目がクレッシェンドの途中で来てしまっているということです。 さて、いよいよメインとなる部分です。この曲で考察して欲しいのは、どのようにしてこの曲がハイエナジーな状態を保っているのかということです。 音はエネルギーに他なりませんから、音は音楽の燃料といえるでしょう。つまり”音の数”の多い曲では曲全体のエネルギーが多くなります。汽車に石炭を入れるイメージをしていただくとわかりやすいと思います。走り出すのは石炭を入れるから。力強く走るのは石炭をたくさん入れるから。徐々に止まるのは石炭が燃え尽きていくから。そういった具合です。 音の数を稼ぐ方法には大きく分けて以下の3つがあります。1、テンポを早くする。2、音を細かくする。3、層を厚くする。この曲ではそれら全ての手段を使って燃料を補給しています。 1、この曲のテンポはBPM170、結構速いです。速い曲の方が一般的にハイエナジーなのはこのためです。 2、この曲では、ボーカルが八分音符・四分音符ベースなのに対して他のパートが十六分音符になっています。 3、同時に多くの音を発するイメージです。この曲では、多くの声、ギターが役を買っています。多層構造にすることで音の数を稼いでいますね。テンポの遅い曲でも、音をいくつも重ねて厚みを出すことで力強さを出している場合がありますね。 燃料補給が”絶え間なく”行われているのも1つの特徴です。メロディが止む度、ドラムが大きく細かいフィルインを入れています。忙しい忙しい。ドラマーとしてはコスパ(報酬/打数)の悪い仕事ですね。 この曲ではエネルギーの上下ではなく”汽車の速度”で展開を作っていますね。例えば冒頭の「たからかに」の部分などは全体が音の数を急に減らすことでそれまでのエネルギーがぐっと抑えられます。急ブレーキをかけた時に前のめりになるイメージですね。 読者の皆様の中には、音の設計・音の数という2つの概念に馴染みのない方も多いと思います。今後音を聞かれる際それらの新しい視点を導入していただくと、新たな世界が見えると思います。 本当はTubular Bellの距離感、シンコペーションによる跳躍感など書きたいことがまだまだあるのですが、明らかに容量オーバーなのでここでやめておきます。ご意見・ご感想お待ちしております。
曲名にもあるようにこの曲はだいぶtrickyになっています。一曲通して変わらないパターンはあるのですが、Benny Grebがそれを様々な方法で捉えることで色々な味が出ています。
まずこの曲の1セクションは、以下の3フレーズ(小節)によって構成されています。 5+5+5+5+5+5+3+3 (=36) 5+5+5+5+5+5+2+3+3 (=38) 5+5+5+5+3+3+2+3+3+3+3+3+3 (=46) Benny Grebは左足HHで八分を刻み続けることの多いドラマーなので各フレーズが十六分偶数個なのは納得です。5と2または3の関係性を上手く利用した分割ですね。4を基調にすると丁度割り切れてしまい、2:1の関係が様々な時間単位でどこまでも繰り返されることになりある意味聴き飽きた感じになってしまいます。こういう非フラクタル構造の音楽は普段よく聞く音楽とは違うセンスを孕んでいて勉強になります。
以下は、それぞれのセクションで彼がどのような取り方をしたのかを分析したものです。
セクション1
フレーズの導入部です。分割を一切行わないことで、2分割3分割を予想しているオーディエンスを混乱させます。3拍子、4拍子とも取りにくいので、どのような解釈がこの後なされるのだろうという期待感が高まります。ジングルの乗ったシンバルのショートディケイな音が"間"を作っていて良いですね。
セクション2
メロディが始まります。メロディのモチーフは1つのみで、パンニングを利用してメロディが複層に"ちぎられて"います。
楽譜には書きませんが、Benny Grebはいつも通り左足で八分HHを刻んでいます。右手の小型HHはまさかの4分の長さのリズム。この時点で5:4の節奏的ポリフォニーが始まっています。右足・左手のキック・スネアはフレーズを追っています。メロディはそこまで追いません。ここでグレイスノートを分析してわかるのは5が並ぶときの分割が3+2, 2+(2+1)の繰り返し、非同一であるということです。これが単純に偶数回目の5が八分の裏スタートであるからなのか、メロディの起伏に対して沿うようにした配慮なのかはわかりません。 セクション3
ここでメロディは終わり、元のフレーズのみになります。
右手は重ねシンバルでの四分に変わります。ジャリジャリ感がたまりません。ここでわかりやすいのは彼が四分を3フレーズ目で"リセット"していることです。そのまま打ち続けると八分の裏になってしまいますが、それを阻止しています。これはセクション1でも同じなのですが、こちらの方がそれが聞こえやすいですね。セクションが1・2と3の二つに大分されていることもここからうかがえます。 キック・スネアは少し忙しくなりますがフレーズを基調にしている点では同じです。ここのグレイスノートでで奇数回目の5が(1+2)+2であることがわかります。3を1+2と取るのは意外です。偶数回目の5とセットにしたときに(1+2)+2,2+(2+1)となって前後の1が上手く繋がるためかスムーズに聞こえます。 3フレーズ目(小節番号9)の中頃、5+5+5+5+3+3+2と来た後の分割が面白いですね。フレーズは3+3+3+3+3+3と続くはずなのですがそれを4+2+2+2+2+2+2+2としています。したがってこのフレーズの後半はメロディに対して2:3の関係に移行していることになります。キックの2が主旨のように思いますが、その2も三連に割られていますので、6:9と言えなくもないかもしれません。 実はこのセクションからコンガが向かって左方で鳴っています。元のテンポ(四分音符=毎分110)で聴いたときはスネアにトリガーをつけて鳴らしているのかと思ったのですが、Benny Grebがトリガーを使うところを見たことは一度もありません。半分以下の速度(上にある音源)に落としてよく聴いてみると、特にこのセクションの最後のところでそうではないことがわかります。スネアが明らかに鳴っていないのに、コンガの十六分が聞こえるのです。これはおそらく同じアルバムの"Couscous"と同様多重録音がなされているのだと思われます。Benny Greb本人が演奏したものなのかどうかはわかりませんが、かなり面白いことをしていますね。スネアのグレイスノートとは別の音色でグレイズノートを演奏したり、ただ単純に音を重ねて新たな音色としても使っています。 セクション4
声の厚みがベースのみに大きく減らされ、セクション4と5ではBenny Grebのための"遊び"が用意されています。
セクション2、3では彼一人でポリフォニックな表現(4:5など)をしていましたが、このセクションでは右手をタムのシェルに移しモノフォニックな表現に専念します。その代わりにシェイカーが向かって右方の登場。左足HHとともに4の感覚をキープしています。 まず一フレーズ目、5+5+5+5と来た場面。次は5+5+3+3と続くはずですが3+3+2+2+2+4あるいは3+3+2+2+3+3とも取れる分割をしています。これまでの最小単位である十六分を半分にした三十二分ではなくあえて三連符の細かさを採用することで十六分の枠組みを"乗り越える"感覚を演出しています。 二フレーズ目では、最初のスネアの位置が5で取ったときに2つ目になってしまいます。そこで手順に注目するとKRL,KLLというBenny Grebの十八番が最初に登場していることがわかります。これをもとに最初の6音を3+3と捉えて以下を順にみていくと、次が6で繰り返されていることがわかります。これによって、彼が考えていた分割が3+3+6+6+2+5+5+2+3+3であることが判明しました。元のフレーズの前半20=5+5+5+5であるところを20=3+3+6+6+2にしているわけです。つまりここで行われているのは5:6の"ズレ"を利用した表現なのです。筆者は大学時代にDavid Garibaldi(Tower Of Power)の教則本で習ったことを思い出しました。"Permutation Study"と呼ばれるこの学習は脳のスタミナをとてつもなく消費する内容でしたので、レッスンが近づくと心が重かったことを覚えています。 三フレーズ目もこの手順を利用して始まります。前回は20の入れ替えでしたが、今回は10の入れ替えです。5+5+5+5+3+3+2+3+3+3+3+3+3のフレーズ上で3+3+4+5+5+3+3+2+3+3+3+3+3+3としてフレージングしています。この数列を見てセクション2の楽譜を見に行ったあなたは鋭い!僕も同じことを考えました。Benny Grebはなんとメロディを(ドラム上で)歌っているのです。3,3という始まりはどこからともなく降ってきたものではなく、メロディで繰り返されるモチーフをもとにしたものなのです。4/4や3/4などであればほとんどのドラマーがメロディを叩けます。大学でいうと1学期目の期末テストくらいの感じです。しかしここまで複雑なメロディををこの拍子で歌えるドラマーはなかなかいないと思います。さすがに自ら作曲からとはいえ曲の理解が度を越えています。恐るべし、Benny Greb。 セクション5
ここもまだBenny Grebが"遊び"ます。
一フレーズ目はいったん落ち着きを取り戻します。声のフレーズ通りの5+5+5+5+5+5+3+3。前半を3+3+4捉えることもできそうなフレーズですが、スネアの位置から見るにこれは55にすり寄って言った形に聞こえます。 二フレーズ目、また歌います。5+5+5+5+5+5+2+3+3の上で、3+3+4+5+5+3+3+4+2+3+3としています。前半10を3+3+4とする入れ替えは前のフレーズと同様。注目は中盤の10です。フレーズに沿えば5+5となるところを3+3+4としています。セクション2の楽譜を見ていただければわかるのですが、これもメロディの動きに沿っているのです。 三フレーズ目でコンガが暴れだします。よく聞くと"切り貼り"のように聞こえるこのバッキングが、尖りに尖っています。二フレーズ目の中盤で匂わせた音数の少ないフレーズを使うBenny Grebに対し、コンガソロなのではないかと思うくらい複雑なことをしています。(音もボンゴっぽいのでラテン音楽における楽器構成の観点からしてもソロ的用途に適していますね。) Benny GrebはKから始める3にハマってしまっていますから、3+3+4+5+5+3+3+2+2+2+2+2+2と、最後の12を3+3+3+3ではなく3+3+3+3+3+3を2/3に縮小(150%に加速)しています。これによってより多くの3をぶち込めるわけですね。 セクション6・7
十八番の三連符で盛り上がり、セクション6に突入します。メロディが戻ってくる再現部です。ここで彼はセクション2と同じ様な4:5のリズムを使った複層構造に戻るのですが、今回はキック・スネアが5だけでなくメロディもなぞってきます。これは5の今までの分割とは異なる位置でグレイスノート、キック・スネアを鳴らしていることから判明します。
セクション6、三フレーズ目の後半、3+3+2+3+3+3+3+3+3の部分で彼は我が道を行きます。4+2+2+4+2+4+2+2+2+2で元のフレーズに沿ってはいるのですが、そのまま考えてしまうと3がエッグビートもどきになります。彼の普段のドラミングを聞くとエッグビートはそんなに使用しないので、4を分離して考えていたとする方が自然だと思います。 セクション7は彼のスゴみが全開です。4:5の感覚を維持しながらどれにも属さないメロディを拾う。エンディングに向かって音の数を増やしつつもクリーンさを保つ。Benny Grebっょぃ。。。 セクション8
最後までふつくしいドラミングです。重ねシンバルの四分音符がセクション3のドキドキ感を思い出させます。はるかに打数は多いのですが、クリーンさは変わりません。ここで聴いている私たちを楽しませているのは打数だけではなくむしろ明確に提示されたその構造であると僕は思います。
この曲は02:08しかありません。この内容の濃さゆえ、これ以上やると私たちの耳が疲れるのかもしれませんね。
これを即興的にできるBenny Grebはいったい何者なのでしょうか。それぞれの要素(例:複層構造、メロディを奏でること)一つ一つはそんなに難しいことではないのですが、これを同時にやるのは至難の業です。 YouTubeに別で録られたバージョンも上がっていますのでCD版を分析した後に聴いてみてください。この人の語彙力の多さ・曲理解の深さに感動させられます。
今回は僕の大好きなドラマーBenny Grebの凄さの示すあるフィルを紹介したいと思います。
そのフィルは02:17で起こります。ここだけ聴くと、ただよく間の取られたフィルに思えますが、その前、01:52辺りから聴いていただくとその気持ちよさがわかると思います。 02:05から四つ打ちも始まり、重ねシンバルの心地よい十六分が八分の裏拍で鳴らされ、ノるべきリズムが提示されています。ところが02:15、9小節目の時点でキックが抜け、ある意味聴いているものに対し自らの力で拍を取ることを強要します。 その2秒後、セクションの10小節目に訪れるのがこのフィル。
そう、リズムがよくわからないのです。僕も打楽器奏者を10年以上やっていますから、ほとんどのリズムは一回聴けば楽譜に起こせます。しかしこのリズムには本当に意表を突かれました。いざ楽譜に起こしてみると、下のようになります。
このフィルの凄いのは分割(subdivision)のヒントを一切与えず複数の分割様式を取り入れることで聴いている人にミスリードを起こしつつも曲の流れを壊さないところだと僕は思います。
まず一拍目の頭が休拍です。これによって聴いている人は少し不安になります。抜けた頭の音と次に来る音の時間的位置によって分割が決まってくるからです。分割単位を判断するには最低に音が必要です。そしてそれはたいていの場合表(または裏)と次の音です。一拍目でこれをまず揺らしてきます。 二拍目では、一拍目よりも細かい単位である十六分の分割が出てきます。これも頭が抜けています。しかもこれは二拍目。いわゆるポップミュージックでは必ずと言っていいほどスネアが予想される場所です。この時点でほとんどの人は拍から振るい落とされると思います。もしここの頭にスネアが入っていたら簡単に拍が取れます。 三拍目では、さらに別の分割である三連符を入れてきます。たとえここまで十六分が取れていたとしても、これはさすがに混乱させられます。しかもスネア→キック→スネアと等間隔で来ているのでそのまま付点八分音符で何か来るのではないかと人間の脳は予想してしまうのです。僕はこの拍で置いて行かれました。 四拍目では、三拍目と同じことを繰り返します。次の小節からまたイーブンな分割(十六分)に戻るので、普通のドラマーであれば三連符の分割はリスキーと考えます。表だけ叩いて止めて四分を提示する、もしくはBenny Grebのパターンに八分の裏も加えたパターンで八分音符を提示するというのが定石でしょう。もし僕がこのフィルをミュージカルの現場で演奏したら舞台上で踊っている役者の皆さんから終演後に肩パンチされると思います。「踊れねえわ!」 そして何事もなかったように十六分の元のリズムに戻っていきます。クラッシュシンバルさえ入れません。このスパイシーなフィルをBenny Grebでは珍しくかなり平和で可愛らしい曲調の中で入れておいて澄まし顔です。この曲はこのフィルのためだけに書かれたんじゃないかと思うくらい尖ったフィルです。音数が圧倒的に少ないので曲のローエネルギー、低速ギアな雰囲気も壊していません。 消しゴムで絵を描くようなこのフィル。数学的でクリーンなフィルを多用するBenny Grebがその計算能力を見せつけてきた瞬間ともいえると思えます。
4と3、2と3の組み合わせに比べ、今回紹介する7と8の組み合わせは最小公倍数が大きいため、緊張感が大きな時間単位で生み出されます。通常の組み合わせは最小公倍数が小さくすぐに二つの感覚が合致してしまうのですが、7と8の場合はなかなか合致しません。そのため合致の瞬間(=最小公倍数の始まり)が認識されず、どんどん"ズレている"という感覚になります。
(00:00-04:10) さて、問題の7と8ですが曲の終盤まで現れません。前述の期間のリズムパターンは2つで両方とも4/4です。1つ目は十六分シンコペーションの効いたパターン。ハイハットが八分で遊びを作っているところにギターのカッティングが絶妙なスウィング的意図(八分の表と裏の音価属性の違い)を加えています。2つ目はキックの4つ打ちが明快なパターン。メロディはシンコペーションし続けますが、ハイハットが十六分になるのでよりイーブンなフィールになります。この2つのパターンの繰り返しで曲は進みます。 (04:10-04:24) ここで後奏的に現れるのが今日の本題である7を基調にしたリフです。ピアノのリフは7/16。2+2+(2+1)という3拍子の分割がなされています。 (04:24-04:37) 他パートが合流してきます。全員7/8で合流してきます。ピアノのリフ(7/16)2つ分で1ループですね。ドラム・ベースの分割が少しピアノと異なります;4+4+3+3となっています。ここまでの曲4分間が四分音符を強く意識させるフレーズだったので、四分ベースで取る方も多いと思います。その場合は1+1+0.75+0.75となります。ここで起きているのは2種類の7(3拍子と4拍子)の共存ですね。下図に示しました。 1-2-3--1-2-3-- 1---2---3--4-- 上がピアノ、下がドラム・ベースとなります。パート毎の関係性はドラム・ベースの上にピアノが乗っている形になります。したがってドラム・ベースの4拍子を基調として考えます。すると、ピアノの偶数回目のリフの始まり(上図下線部)を3拍目のシンコペーションと考えられます。これがこのフレーズの面白みの一つになっているのだと思います。 (04:37-) ここでドラムが7から8に分離します。ここでいよいよ"ズレ"が起きてくるわけです。ドラムは最小単位が四分音符の強烈な2/4パターンを打ちます。 1-2-3--1-2-3--1-2-3--1-2-3--! 1---2---1---2---1---2---1---2--- 上図のようになるわけです。下がドラム、上が他パートです。僕が聴いたときは、8の方が圧倒的に数え易い分、8-1である7が十六分音符一つずつ"前のめり"になっていく形に聞こえました。もしかするとそこまで繰り返されてきたリフ、7のパターンを基調に捉えた方もいらっしゃるかもしれません。その場合はドラムが十六分音符一つずつ"遅れていく"ことになります。この緊張感がたまりませんね。ギターかベースかのどちらかが途中でドラムに乗ってきてまろやかになるのかと予想しましたが、そのまま7と8の緊張感を最大限に保ったままこの曲は終わりを迎えます。 このドラムは演奏していて気持ちいいと思います。このめちゃめちゃ簡単なドラムのパターンがここまで輝く曲はなかなかありませんね。 (追記) これのことを"ポリリズム"と呼ぶミュージシャンがいてびっくりしたことを覚えています。ポリリズムとポリメトリックの違いは音楽理論の講義でいうと最初の学期に習います。テストによく出る内容ですよね。
変拍子というとやはりある種”無理のある"曲が多いように思いますが、この曲は変拍子が変拍子であることに意味がちゃんと備わっていてとても心地が良いです。
(00:00-00:17) 12/8+10/8は、3+3+3+3, 3+3+2+2の繰り返し、最後2拍が短くなっているという捉え方がなされています。この曲に合わせて歩いてみるとわかるのですが、短くされた2拍で上手く歩くにはその前、遅くとも2拍目あたりから前進するエネルギーを強める必要があります。 イントロのピアノで導入されるパターンがその役割を果たしています。例えば2拍目をただの四分音符にして歌ってみるとうまく時が流れません。「たーたーたー」ではなく「たーらったたー」であるからこその自然さですね。 (00:17-00:48) 最初ボーカルが入ってきたVerseで偶数拍目が省略されて大きな拍の取り方になりますが後ろ2拍がぐっと押し込まれて演奏されているのはその"無理やり"進んでいることの現れに思われます。 (00:48-01:04) Chorusに入るとイントロのパターンです。音景の変化がこのパターンに注意をひいています。今まで中央でたっぷりリバーブをかけられていたボーカルが両サイドにパンを振られます。リバーブが一気に減り、おそらくマイクの位置も下げたことにより彼女の声のハスキーさが伝わるほど近くに感じます。パッドなのかと思うくらいのリバーブを敢えて"引く"ことによってパターンを際立たせるという選択は学ぶ部分があります。ボーカルの息継ぎの音が休拍に音楽的意図を加えているのもいいですね。 (01:04-01:36) 2度目のVerseでは中央のボーカルが戻ってきます。いろんな楽器が入ってくる感じがとってもSnarky Puppy。左から聞こえてくるアコースティックギターのいわゆる"2拍3連の裏"、これが後で効いてきます。 (01:36-01:52) このChorusは最初聴いたときもの足りない感じがしました。この"物足りなさ"はエネルギーが蓄積されているのに発散されていない状態から来ていると思います。この静かな緊張状態が一気に発散されるのが最後の小節です。今までのOstinato的パターンを繰り返すのであれば10/8のはずのこの小節。しかし後ろの2拍が短くなっていては溜まっているエネルギーを発散するのに十分な踏切りが得られません。これも歩きながら歌ってみたのですが10/8のままだと間違いなく転びます。 (01:52-02:01) 最初の発散は80%程にとどめられます。01:52の時点でドラムの入りを予想したのは僕だけではないと思います。ここでまだ焦らしてくるChantae CannとSnarky Puppyはあざといです。そして前回と同じように12/8で気持ちよく次のセクションへ。 (02:01-02:50) 大きく拍を跨いで伸びるバックのコーラスが開放感バツグンです。02:26からの同パートの2拍ずつの取り方も伏線です。後から出てきます。 (02:50-03:05) ここからは打って変わって12/8+9/8、8拍子ではなく7拍子になります。キックによって提示される4分音符にコンガ・カウベルの裏拍とブラスセクションのシンコペーションがうまく絡んできます。曲の構成を考えたときこのセクションは前後半のつなぎなのですが、前に登場したメロディを使いつつ次に現れる拍子を導入することで前に所属するとも後ろに所属するとも言い難いなんとも絶妙な位置を取っています。ここのベルパターンが12/8のよくあるリズムを加工したもの。最初聴いたときはこれが次に導入されるostinatoだと思っていました。 (03:05-03:35) ここで最初の伏線回収が行われます。2度目のVerseで現れたギターのパターンが今回はピアノで演奏されます。ここで単純な7/4にしないところが彼ら。キック、メロディが四分音符を、ピアノが2拍3連の裏を、ベルが四分の裏を織りなす中、べースがメロディックに絡んでいきます。 (03:35-04:06) ここではChorusの途中で現れた2拍ずつの取り方が再現されます。途中メインメロディによってその存在を明らかにされたところからは特にオールスター感謝祭状態です。 (04:06-04:21) 複数の層によって作られたこの混沌とした興奮がひとつにまとまっていくのがこのセクションです。ボーカルが全員メインのメロディに乗っていきます。 (04:21-04:36) ドラム抜きでもとの構造に戻りここで収束するのかと思いきや、メインボーカルによってもう一度エネルギーが引き戻されます。ドラムが抜けてさらにピアノが2拍3連の表に返った時点でエネルギー量が一気に減るのにこっから引き戻していくChantae Cannっょぃです。 (04:36-04:51) 最後のひと踏ん張りです。スネアが忙しい。明らかに拍の取り方が細かくなり、スネアの効果で押し出された三連符がストロボのようにチカチカします。しっかり後ろでラトルが鳴ることで空間的前後の深みも失われていません。 (04:51-) 絶頂を迎え、果てていきます。どこからともなく出てきたflangeの聴いたギターが右の方でいい色を付けています。 曲の展開を考えたとき、前半の変拍子だけだと割とすぐに"飽き"が来そうなものです。これを後半の7/4でしっかり楽しませていくのが素晴らしいですね。2小節のくくりでいえば前半が22/8で後半が21/8。一拍数を減らしてるんだけど一拍長さが伸びているという絶妙なバランス感。前半と後半が別物にならぬよう工夫がなされています。 2016年11月にSnarky PuppyのドラマーであるLarnell Lewisに指導を頂く機会があったのですが、バンドとして各層がうまく働いたときに"自然さ"と"次に移る理由付け(エネルギー)"が同時に出てくるという話をされました。この曲を聴いていると、その教訓が思い出されます。
(追記) このときLarnellが持ってきたシンバルが当時まだプロトタイプだったZildjan K Super Dryだったのですが、思えばこの頃から始まったドライでワシャワシャなサウンドのブームはまだまだ続いていますね。Meinl Byzance Extra DryやBenny Grebの重ねシンバル祭りなどでシンバル産業は潤ったのでしょうか。僕のエンドースしているシンバル会社TRX CymbalでいうとCLS(クラシック)シリーズが流行りの音の感じです。ワシャワシャ感。もしよければ一度聞きに来てください。時々仕事で使っています。
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