Shota Miyazaki MUSIC
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レッスンや演奏のコンテンツをオンライン、無料で提供することへの嫌悪感

5/10/2021

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(1) YouTubeという甘い毒

音楽を聴いたり学んだりするのは、決して安くも易くもなかった。

私がドラムを学び始めたのはおよそ2006年あたりで、YouTubeの誕生とほぼ同じ時期である。この当時市販のドラムの教材というと、教則本とそれについてくるCD・DVDくらいであった。中高生の頃は一緒に音楽をやる周りの大人たちに習い、大学生になると渡米し大学で音楽を学んだ。

そして今は一丁前に日米中で演奏、講義やレッスンをするおじさんになった。消費者から生産者になったこの15年の間で、世間の状況も大きく変わったと思う。YouTubeの普及によって莫大な量の演奏や教材が無料で容易に手に入るようになった影響は、あまりにも大きい。

聴く側、学ぶ側にとって様々な演奏、教材へのアクセスが容易になったのは良いことだ。確かに裾野は広がったかもしれない。しかし、悪い影響も無視できない。NAMMショーやPASICという世界中の音楽関係者が集まる展覧会に参加していると、この負の側面に関する議題が頻繁に取り上げられている。

(2) 聴く、学ぶ行為におけるインスタント性の高まり

視点1.レコード、CD、ウォークマン、ストリーミングと移る中で、一番良い部分に易くかつ安くアクセスできるようになった。お気に入りの1曲や1フレーズを見つけたりするのに何十分も曲を聴くようなことは、もはや一般的ではなくなった。YouTube、TikTokはその極致だ。インスタントな良さがすべてなのだ。

視点2.そもそも動画というフォーマットのインスタントな良さというのは、名前の有名度・顔などのビジュアル・再生数や評価など、音楽の性質以外の要因が大きい。音楽の良さの基準が、音のない要因とも結びつき、変遷してきた。「情熱大陸か第九をサビから弾くしかないんか」と言うピアニストや「タキシードという出オチ」と嘆くオペラ歌手、さらには「じゃあ私も谷間出せばええんか」とキレ散らかすバンドマンまで、嘆いている内容は同じだ。

視点3.YouTubeを含めたSNSでは、インスタントな「イイね」を取れるコンテンツが強い。これは学習者にとっても同じだ。理論の解説や、楽曲分析、地味なフレーズの繰り返しの演奏は、ウケない。動画の最初の数秒、場合によっては再生前のタイトルやサムネイルによって再生されるかどうかが決まる。そのため、大音量で派手なタム回しや、複雑怪奇なフィルが好まれる。日向があれば日影があり、派手があれば地味がある、そんなものは旧いのだ。全部日向が一番いいのだ。

視点4.学習者にとっては派手な演奏などの断片的な知識がどんどん貯まっていくだけで、「なぜその演奏がよく聞こえるのか」「なぜその手順なのか」などの根本的な理解が進まない。最近学習を始めた生徒さんを見ていると、このパターンがほとんどである。これでは、すぐに飽きてしまう。どんなに派手なフィルが叩けても、アンサンブル力がないと、「自分の出番」以外はうまく叩けないし、つまらないのだ。

視点5.無料で容易にアクセスできる派手な情報がある時代に、楽器店に行かなければ買えず、DVDプレイヤーが必要で、数千円もする教則本なんてものは、物好き以外は買わない。動画であればコメント、再生数、評価やクオリティなどで「良いもの」が簡単に判断できるが、教則本の良し悪しは、とてもわかりづらい。

聴く側=消費者の耳も、学ぶ側=将来の作る側の手も、インスタントな音楽にチューニングされている。

(3) 音楽はオマケになった。

「CDショップやiTunesで30秒の試聴が導入されても、スローな良さを好む(=認知に時間と注意力を費やす)層はいなくならなかった。」「インスタントな良さに飛びついたファンも一部はコアファンに変容し、より長く深い音楽自体への注意をいずれ獲得できる。」「敢えて人気でないものを好む層もいる」「モノ消費からコト消費へ、CDからライヴへ」

こんな慰めの言葉をいくら聴いても、現場のディストピア感は消えない。音楽はもはや単体では数秒の注意しか獲得できず、1曲0.01円まで価値は落ちたのだ。前述のコメントは我々の危惧の本質からズレているのだ。音楽自体で金をとる、音楽で長い時間の楽しみを提供することは、もうかなり厳しい。

仕方ない。技術の革新と普及は避けられない。あらゆるものの価格は落ちる。そんなことはわかっている。しかし(特に自覚のある)演奏者にとって、技術と市場の大きな力に負け、俗に落ちてこのインスタント化=音楽の価格の下落を加速させる歯車になることは大きな悲しみを伴うのだ。吹奏楽部のスポ魂化批判、クラシック奏者による「ポップス堕ち」した同業の軽蔑、インディーズによるメジャーの「大衆迎合」批判など、これまで数世紀の間、様々な形で現れてきたものも、ついにここまで来たのである。

無料でコンテンツをオンラインに上げ、聴く者・学ぶ者をインスタントな良さにチューニングし、裾野を広げるとの名目で価値の低下を招く、そんな行為に対する嫌悪感。

しかしこれはジレンマの一例に過ぎない。散々言う私も、もういろいろな形でこの業界の自殺に加担してしまっている。コンクールの実績では売れず結局アイドル化した音大卒のピアニストに依頼通りの派手な曲を書きながら、大衆向けと謳うクラシックコンサートでジジババに向けて燕尾服で千本桜を叩きながら、ミュージカル調なアニソンのドラミングを罪のない若者に教えながら、割と絶望している。
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